老化による「萎縮腎」がすすめば透析が待っている

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『戯れに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず』
ご承知のとおり歌人斉藤茂吉の詩です。

人間は誰しも年を取るにしたがい、背が縮み、体は細く軽くなってしまいます。
これは、老化と共に、体全体の細胞が萎縮することによるからです。

内臓トレーニングでは、「病気部位とその症状」に焦点を当てるのではなく、その症状が現れた部位がどれだけ萎縮しているかに注目すべきだと力説しています。

今回は、内臓トレーニングのキーワードである、「萎縮」についてご説明してみましょう。

 

萎縮とは

医学における萎縮について、日本大百科全書には、

『臓器、組織、細胞の容積が縮小している状態をいう。細胞の大きさが減少する場合と細胞の数が減少する場合とがあり、また萎縮した組織や臓器に性状の異常(変性)を伴うこともある。成因により、年齢とともに心臓、脳、肝臓、腎臓(じんぞう)などに出現する生理的萎縮や老人性萎縮・・・』

と、長々と説明がなされています。

 

「萎縮」は細胞の死によって起こる

要するに、萎縮とは、体を構成する細胞が減少したり縮小する現象のことです。

日ごろから健康に細心の注意を払って生活していても、飲酒や喫煙、睡眠不足やストレスを抱えることによって、長い間には様々な病気を発症してしまいます。
例えば、高血圧とそれに伴う動脈硬化や食生活の乱れによる糖尿病や腎臓病などがその一因としてあげられます。

人生長いこと生きていれば、このようないわゆる生活習慣病は誰にでも発症してしまいます。
その発症原因こそ細胞の萎縮によるものです。

 

「萎縮」が進むと透析が待っている

「萎縮腎」という言葉があるように腎臓もほかの臓器と同様に萎縮します。

その代表的なものとして糸球体腎炎と腎硬化症があげられます。
これらは、腎臓の尿細管や糸球体を構成する細胞が炎症により、萎縮して腎臓が小さく硬くなる症状をいいます。

健康な腎臓は、おとなの握りこぶし大で、ひとつ150gほどの大きさがあります。
萎縮腎をエコーやCTで見ると、病気の進行に伴って腎臓が小さく萎縮していく様子が見て取れます。

一度縮んだ腎臓は再生することなく、末期腎不全に至り、人工透析や腎移植をしなければ尿毒症で命を落とすことになってしまいます。

透析に入ると、ダイアライザーが腎機能を代替するので、腎臓の細胞はますます萎縮して全ての機能を失っていきます。

萎縮した腎臓は摘出することは無く、梅干程度の大きさのまま体内に放置されます。

 

薬万能の医療の弱点は

腎臓の萎縮は、腎臓の細胞に酸素と栄養が行き届かなくなることによって発症します。

糸球体や尿細管に血液を循環させて、酸素と栄養が届いていれば、腎臓は元気でいられるのですが、何らかの原因によって血流が滞り、細胞に酸素と栄養が送られなくなると萎縮が始まります。

現代の医療では、一旦、細胞の萎縮が始まるとどんな薬をもってしても、これを止めることはできません。
つまり薬による化学変化で血流は蘇らないということです。
ここに腎臓病が不治の病と言われるゆえんがあります。

内臓トレーニングは、薬に代えて全身に低周波電流を通電するという、物理的な方法によって、血流の活性化と自律神経のバランスを整えることを目的としています。
このため、薬万能の現代医療の弱点を補う健康法として、全国の腎臓病患者さん達から注目されるようになりました。

 

治療とは自然治癒力をつけること

古代ギリシャの医師、ヒポクラテスは、

「病気を治すのは医師では無い。患者自身の身体が病を治すのだ」

と喝破しています。

医師の治療はあくまでも症状を改善するための対処療法であり、手助けです。
根本的な治療は、患者自身が自然治癒力を付け、病気を駆逐する健康な体を取り戻すことではないしょうか。

 

まとめ

日本の医療は、明治の初期に江戸時代からあった東洋医学を排し、全面的に西洋医学を採用しました。
これにより,あんま、鍼、灸という伝統的な物理療法は遠ざけられ、医師による薬による治療が主流となりました。

しかし、細胞の萎縮から生まれた生活習慣病は、薬の化学反応による治療だけでは完治できないことが明らかになりました。
体をゆすったりさすったり、時には針で刺激したりという物理的な治療の有効性が見直されるようになってきました。

内臓トレーニングに取り組む患者さんの中には、「腎臓病の権威である〇〇大学の△△教授の治療を受けている」と、言って自慢する人がいます。
腎臓病が不治の病であることを知っているにもかかわらずです。
しかし、患者さんが「どんな方法でもいい、治ればいい」と考えるなら、西洋医学も東洋医学も両方の良いところを、うまく活用したらよいのではないでしょうか。