治療する姿勢について

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講演では、「まくら」の部分で、よく以下のような話をしています。

「一般的に医師は、社会的には出来るだけ病人が少ないほうが良い。世のため人のために一生懸命病人を減らそうと思って治療に専念する。そして、2度と病院には来なくて良いように完璧な治療をしようと考えている。しかし、同じ医師が、病院経営する立場になると、お客さんが多いことは大歓迎、もっとお客さんを増やそうと努力して、2度も3度も来てもらうよう工夫する」

個人としては人の幸福を願っても、立場が変われば人の不幸を利用しようとする。

人の心には、善良な神と悪魔の両方が住み着いており、立場の違いによって、聖人になったり悪魔になったりするというお話です。

 

悪魔の声に誘われて

2016年7月29日付の毎日新聞に拠れば、某大学医学部付属病院では、肝臓手術に伴う死亡者数が異常に多かったという。

そこで日本外科学会が調査したところ、この病院には第1外科と第2外科があり、それぞれの医師たちは、手術の技術が未熟でありながら手術数を競っていたという。

未熟な技術であるだけに死亡者の数も増える。
この医師たちは、死者を出してでも自らの技術を磨いたということだろうか。
やがて、手にする名医の称号のために。

一時期、「揺らぎ」という言葉が流行った。
揺らぎとは、「ある量の平均値は巨視的には一定であっても、微視的には平均値と小さなズレがある」とある。
人間を巨視的に見ればみな善人だが、何かの衣を纏うと善人の枠から外れてしまうことがある。
人間の性であろう。

悪魔の声に誘われて手術数を競った医師たちも、職場を離れて一個人に立還ればもちろん善人であると思いたい。
が、筆者にこんな勘繰りをさせてしまう現実があるのも事実だ。

 

治療する姿勢についてまとめ

冒頭の「まくら」のように、「人は誰もが基本的には善人である。しかし、時には人の道をはずさない範囲でチョイ悪をやってしまう」弱さを持っている。

私たちは、心の中で、日々善と悪を行き来している。

上述の某大学の医師たちも、そんな揺らぎの中でつい足を踏み外してしまったのだろう。慎みたいことである。